最終更新日 2009/04/01 
運輸総括課長の路線紹介
 


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はじめに…

第1回 「水30系統A」

第2回 「水30系統B」(※執筆中)
  



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はじめに…
いつも茨城中央交通ホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
このページは、「運輸総括課長の路線紹介」と称して、茨城中央交通バスの路線や車両の決定において実質的な責任を担っているバス事業部運輸総括課長が、路線の概要をはじめ、沿線の環境や運行車輌、さらには普段知ることのできない新規路線開設の裏側などをご紹介するページです。
下手な文章ではありますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

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※このページでは、実在の道路や施設の名称を用いてご紹介しておりますが、それらの場所を当社のバスが走っているということにつきましては架空の設定であり、実在の施設ならびに団体等とは一切関係ありません。
このページの内容に関しての各省庁や団体等への問い合わせは、業務に支障をきたす場合がありますので絶対におやめください。
また、このページで使用しているバスのイラストの著作権は、野川電鉄さま港南電鉄さまをはじめ、改造元となるペーパークラフトを製作された方及びこのページの管理人にありますので、無断転載は絶対におやめください。

なお歴史の解釈につきましては、さまざまな説があるうちの一説、あるいは昔を知る人物から聞いた話を記述しております。
そのため、内容が事実とは異なる場合がありますので予めご了承ください。
もし詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報頂ければ助かります。



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第1回 「水30系統A」
水30系統A 『城東ルート循環バス Aルート』 (平成16年8月10日運行開始)


城東とはその名の通り、水戸城の東側に位置する街である。
水戸城は現在のJR水戸駅の北側の、小高い山の上に築かれた。
しかし現在は戦火などにより焼失し、立派な天守閣が存在していたというような昔日の影は無いものの、その址には2つの小学校と1つの中学校、2つの高校、さらには多くの官公署が置かれるなど有効に利用されている。
当時の様子は、水戸城址に建てられた記念碑や観光案内板などでも知ることができるが、さらに当時の繁栄を彷彿させる遺構が存在する。
それは、茨城県庁三の丸庁舎(旧茨城県庁。現在はパスポートの発行を行う部署などが入っており、その洒落た外観から数多くのテレビドラマで警察署などとして使用されるなど、県が最近力を入れているフィルムコミッション事業においても活躍している)及び茨城県立図書館の正面、茨城県警水戸署の北側に残る堀の址である。
この堀は水戸城の城郭を成すもので、水は溜まっておらず空堀となっているものの結構な深さがあり、なかなか見ごたえがある。
また、県の指定史跡として登録されている重要な史跡であり一見の価値はある。
しかし、平成18年8月現在、土塁と堀の法面の修復工事が行われており、極力当時の工法を採用して進められてはいるものの、綺麗になりすぎて逆に不自然な状態になってしまっている。
以前はよく堀の下に下りて遊んだりということもできたものだが、現在も下りられるかどうかは不明である。
いずれにしてもこの堀は、当時の水戸城の様子を何よりも雄弁に語ってくれるものであることに変わりはない。

さて、現在の水戸駅は、千波湖を埋め立てたところに造られたものである。
そして水戸城のあった丘陵地の特に西側、大工町あたりまでの商店街を上市(うわいち)、水戸城の東側の低地に広がる商店街を下市(しもいち)と呼んでいる。
上市は、水戸駅を起点として大工町を貫く、水戸のメインストリートである国道50号線に沿って発展した商業地区で、以前は水戸京成百貨店と伊勢甚という2つの向かい合った大型店の下で数々の商店が立ち並ぶ、賑やかな商店街であった。
しかし、伊勢甚が閉店してからというもの、大型店の閉店が相次ぎ廃墟に近い状態のビルが目立ち始め、かつての活気は薄れてどことなく寂しい雰囲気に包まれるようになってしまった。
しかし、そこに春風の如く現れたのが水戸京成百貨店の新館の建設計画である。
それは、伊勢甚が閉店してから全く使われていなかったビルを取り壊し、周りの商店も若干移動させ広い敷地を確保、周辺の道路も整備した上で、かなり大規模な店舗を建設するというものであった。
そして、長い間白い工事用フェンスに覆われていた区域は平成18年3月にお披露目された。
多くの専門店が入り、さらには有名ブランド店も誘致したその新館は、さながら最近県下で勢力を伸ばしている複合型大型商業施設のような出で立ちであった。
そのことが追い風となって近隣の商店も活気を取り戻し始め、上市全体として見ても徐々に景気が上向きになってきているように思える。
しかし、この京成百貨店に入る自家用車が休日には国道50号線の渋滞を引き起すようになったというのも事実である。

そこでわが茨城中央交通は、水戸駅を出て百貨店前を通り、近くにある水戸芸術館まで走る、「京芸シャトル線」の運行を開始した。
それとほぼ同時に駐車監視取締員制度もスタートしたため、京芸シャトルはその恩恵を大いに受け、定時運行が可能となり、それが便数の増加にもつながり、安定した利用者獲得に成功した。
この路線を成功に導いた背景には壮絶なドラマがあり、また、この路線が成功を収めたことによる社会への影響は絶大なものであったが、それについては今回は割愛したいと思う。

一方、下市は城東の南側に広がる商店街である。
下市には、一方通行道路に面した商店街や、「備前掘」という洒落た感じの水路があり、上市と比較すると“下町”といったような印象を受ける。
しかし下市は土地が低いために、以前はしばしば水が出ることがあったという。
城東も下市からはそう遠くない場所にある。そのため、浸水の被害が出ることも少なくはなかった。
むしろ城東の方が、河川の氾濫による被害を被ることが多いといえる。
地図を見ればすぐに分かるが、城東は一級河川である那珂川と、その支流である桜川という2つの川に挟まれた形となっている。
さらに、那珂川は城東地区の手前で大きくメアンダーしており、いつ堤防が決壊してもおかしくはないような状態である。
事実、1998年8月の水害では河川敷にあったホテルのすぐ隣を川が轟々と流れているような状況になり、那珂川に架かっていた橋の1つが流失した。
その後ホテルは別の場所に移転し、流失した橋は現在少し離れた場所に新たに建造中である。

しかし、そんな那珂川があったからこそ城東が発展したと言っても過言ではない。
城東はその昔、武家屋敷が立ち並ぶ城下町としても栄えた。
さらにその先、現在の若宮あたりでは那珂川のバックマーシュを利用し、大規模な稲作が行われていた。
その稲作には、那珂川という水源は欠くことができない存在であった。
豊かな水量を誇る那珂川に因んで「みと」という地名が付けられたということからも、那珂川が如何にして水戸という都市を生み、育んできたのかということが分かる。

さて、そんな水戸に属する城東であるが、現在はその土地の多くが住宅地となっている。
その背景には、土地が平坦であることと、水戸駅からのアクセス性が良好であることなどが挙げられる。
そして、そのアクセス性のよさから、大手企業の社宅なども複数存在している。
それは茨城中央交通も例外ではなく、閑静な住宅街の中に社宅を構え、毎日各営業所へ向けて送迎バスを運行している。
この社宅の管理運営並びに送迎バスの運行を行っているのが、茨城中央交通の関連会社である、「茨城中央交通クリエイティブサポートシステムズ株式会社」である。
同社はその他にも、茨城中央交通グループ各社の社内誌や一般雑誌出版の出版、嘱託運転士の派遣などの事業を手がけている。
そのため、茨城中央交通バス事業本部所属運転士のOBが多く、毎朝利用する新人運転士などは態度面で非常に気を遣う。
しかし、自分が教わった指導運転士との再会を果たせることも多く、また、路線についての長年の経験によるアドバイスなどが聞けたりもするため、ある意味で重要なコミュニケーションの場となっている。
また、茨城中央交通は同社に対して、交通整理や車輌回送、特定路線の運行をはじめ、バス停のメンテナンスなども委託しているため、茨城中央交通にとっては欠かせない存在となっており、「縁の下の力持ち」的な役割を果たしている。
そして城東には、茨城中央交通バス運輸事業部運輸総括課水戸運輸管理局直轄の城東営業所が存在している。
この営業所は、水戸駅から道なりに直進した場所にあり、水戸駅からの距離もそう遠くはないため、一般路線車輌としては最も多くの車輌が置かれる重要な営業拠点となっている。
しかし、分流した那珂川と桜川が再び合流する地点に立地するため、水害の被害を被る可能性は否定できない。
水害を受けた車輌は全く使い物にならず、廃車となるほかに選択肢がないため、その場合に発生する損害は計り知れない。
そのため現在、万一の事態に備えてバス専用駐車場の立体化を目指す計画が進められている。
因みにそのあたりは常磐線の列車が川面に映るベストショットが狙えるという、鉄道ファンにとっては人気のある場所でもある。
また、城東地区は比較的一軒家が多く、住民も昔から住む人が多いといったイメージが強かったが、最近では少しずつマンション建設も進み、他の地域から移住してくる人も増えてきた。
水戸駅や下市商店街が近く、治安も比較的良く、桜川では水鳥が戯れるなど周辺の環境も良好な城東地区。
新興住宅には絶対にないような素晴らしい要素を持つこの地域では、今後のさらなる発展が期待される。


そんな城東地区のアクセス向上を図るため、水戸駅と城東地区を結ぶとともに城東地区内を気軽に移動できる、循環バスという構想が生まれた。これが現在の『城東ルート循環バス』のルーツである。
これはいわゆる『コミュニティバス』で、この構想が本格的なものとなったのは、平成15年の年度始めの運輸総括総会のときのことである。
まず、日赤病院を中心とした比較的狭い範囲を走るルート(『Aルート』)の運行を計画した。
この路線は病院を経由することと、さらに狭隘区間の走破性が心配され、高額の初期投資が必要と言われる7m級の小型低床車の購入が必至とされた。


▲当初購入を検討した車輌のイメージ(三菱ふそうエアロミディME KK−ME17DF)

その旨を本社に伝えて購入を陳情したところ、本社側からは、「オーソドックスな中型車で対応せよ」という命令が出された。
命令を受け、予定している経路を中型車で試験走行してみたところ、コーナリングの際に切り返しを要する箇所が存在することから、「中型車は多客時の予備的な扱いに留めたほうがよい」という意見が運転士からは多く寄せられた。
その意見を携えて再び本社との交渉に臨んだところ、やっと小型低床車購入のゴーサインが出た。
その席で何度か本社側から出た発言に、「採算がとれなければ他に回すこともできるし」というものがあった。
これを聞いた運輸総括課の路線企画局と水戸運輸管理局のメンバーは、何としてでもこの路線を成功させようと決意した。
斯くして企画サイドは、自身のメンツにかけて絶対的な利用者獲得を狙える路線設計をせねばならなくなったのである。


そこで確実な利用促進策の考案が求められた。
そのとき提示されたものの1つが、『ワンコイン作戦』であった。
これは全区間の運賃を100円均一とし、気軽に乗車してもらおうという意図のもとで提案されたものである。
しかし、ここで大きな壁が立ちはだかった。
日赤病院へ行くまでの経路が、他のバス会社の路線だけでなく自社の他の路線とも重複しており、他の路線を利用した場合の運賃が100円よりも高いのである。
これでは運賃を100円として国交省に申請しても認められるはずがない。
そこで、市内の一般的な初乗り運賃である160円均一で行くことにした。
しかし、金額が半端になってしまったために現金で払う際の小銭の用意が大変だという声に備えて、160円券のみを綴り込んだ金種別回数乗車券の発売、共通ICバスカードの利用促進などの対策をとった。
もっとも、茨城中央交通で採用している運賃箱は整理券読み取り式を採用しているため、160円区間で200円を投入した場合40円がお釣りとして出てくるので、それほど利便性に欠けることはないという背景もあった。
それでも当初は、「160円で採算がとれるのか」という疑問が上がったが、前述のように沿線には茨城中央交通関連の社宅が存在するため、より一層の水戸駅へのアクセス性向上を目指す茨城中央交通クリエイティブサポートシステムズから、路線が軌道に乗るまでの間は資金面での支援をしてもらえることになった。

そしてもう1つの作戦が、なんと本社から出された。
企画サイドの熱心な姿勢を見て、本社も徐々に路線開設に乗り気になってきていたのである。
その作戦とは、『待たずに乗れるバス』を目指して、思い切って購入する車輌の台数を大幅に増やすというものだった。
これは企画サイドにとっては何よりも追い風となり、思い切ったダイヤ設定ができた。
それは、ラッシュが予想される時間帯には2〜3分ヘッド、平常時でも5〜10分ヘッドという、住宅地を走る路線としては異例のものであった。
それにあたり、当社社員はもちろんのこと、クリエイティブサポートシステムズに所属する嘱託ドライバーにも協力を依頼し、乗務員の人数を確保した。
さらに、より親しみやすい印象を与えるため、多くの女性運転士をこの路線に充当することにした。
この作戦も当初はかなり心配されたが、1周の走行距離が短く、車輌も小型であるということから、うまくシフトを組めば大丈夫だろうという公算が強まった。

さらに利便性のよさを追求するため、「フリー乗降を採用してはどうか」という意見もあった。
その意見には賛成の声も多かったが、今回はフリー乗降の採用は見送られた。
その背景として、城東地区は水戸駅方面から国道6号線へ出るための抜け道となっているため、その通行の流れを妨げるようなことをしてはならないという本社からの指示があった。
そこでフリー乗降に代わり、バス停の間隔を出来る限り短縮するという対策が出された。

こうして計画が大体まとまったところで、いざ車輌の購入の段になり調査してみると、当初購入予定だった車輌はモデルチェンジが行われていた。
そのため、今回購入する車輌は新規制適合車となり、図らずも環境にもやさしい路線となったのである。


▲最終的に購入に至った車輌のイメージ(三菱ふそうエアロミディME PA−ME17DF)


そして、リピーターを増やし黒字路線にするという確約のもとで、平成16年8月10日、正式に城東ルート循環バスAルートの運行が開始されることとなった。
このとき既に、路線計画が浮上してから実に丸1年が経過していた。
こちらが運行開始時から現在も使用されている広告チラシである。この広告は沿線住民への新聞折込広告にもなった。

さらに運行開始に合わせて、実際に使用される車輌にはこのような専用塗装を施した。


▲専用塗装を纏った車輌(三菱ふそうエアロミディME PA−ME17DF)
ちなみに、フロントと前扉後に備えられているサボには整理番号が表記されており、時刻表の時刻の下にもこの番号が付番される。
そのため、運行頻度の高い路線で生じやすい間引き運行などの防止に役立っている。
平成18年9月現在、実際に使用されている時刻表がこちらである。


実際にAルートの運行が開始すると、その草の根レベルの経路設定と運賃設定が効を奏し、この路線は好評を博した。
そのため、安い運賃でも日が経つごとに収益が上がるようになり、当初心配されていた車輌単価の高さも減価償却の目処がついたため問題視されなくなった。
また、さらなるサービスの向上を図るために現在でもさまざまな改良が行われている。
例えば、充当車輌の増備である。これは、実際の運行の結果に基づいたダイヤ改正によって必要となったもので、導入を検討した平成18年7月の時点で小型低床車を販売しているメーカーが1社のみであったため、既に投入されている車輌と同型の車輌となった。
ただし、今回導入車輌は他路線への転用も可能にするため、同年8月に下のような新一般路線カラーで登場した。
(※城東ルート循環バスは自治体からの補助金の交付を受けていないため、車輌を固定運用する必要がない。)


▲新一般塗装を纏った一般路線兼用予備車輌(三菱ふそうエアロミディME PA−ME17DF)
多客時の増便、専用車輌の故障・定期点検などの際にはこの車輌が充当されることになる。

そしてのちに、このAルートの成功をばねに、さらに広範囲を網羅するBルートの計画が浮上することになる。
次項ではこのBルートについて説明していきたいと思う。



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第2回 「水30系統B」
水30系統B 『城東ルート循環バス Bルート』 (平成17年8月16日運行開始)

城東ルート循環バスAルートの成功をばねにして新たに計画された路線が、このBルートである。
(※Aルートについては、前項を参照されたい。)
今回は、Aルートの成功で味を占めた本社サイドからの強いバックアップもあり、すぐにでも運行開始が可能のように思われた。
しかし、ここでもまた、企画サイドの目の前に大きな問題が立ちはだかったのである。

(つづく…)